Software Design 連載 第30回 Hack For Japan 3.11〜3年のクロスオーバー振り返り(前編)

 

この記事は、技術評論社 Software Design 2014年6月号の転載です。記事のPDFはこちらからダウンロードできます。 技術評論社のご協力に感謝いたします。

Hack For Japan

エンジニアだからこそできる復興への一歩

“東日本大震災に対し、自分たちの開発スキルを役立てたい ”というエンジニアの声をもとに発足された「 Hack For Japan」。本コミュニティによるアイデアソンやハッカソンといった活動で集められた IT業界の有志たちによる知恵の数々を紹介します。

第30回

3.11〜3年のクロスオーバー振り返り(前編)

Hack For Japanスタッフ

鎌田 篤慎 KAMATA Shigenori

Twitter @4niruddha

“東日本大震災に対し、自分たちの開発スキルを役立てたい”というエンジニアの声をもとに発足された「Hack For Japan」。今回は3年間の活動を振り返ったイベントの報告です。

3年間の活動を共有

2011年3月11日に発生した東日本大震災から3年が経ちました。自分たちの開発スキルを役立てたいという開発者の想いを形にし、これまでITの技術を中心にした復旧復興支援を行ってきたHack For Japanも3年目の節目を迎えました。3年間の活動を通じて、宮城県、岩手県、福島県などの被災各地や復興支援活動に携わってきたさまざまな人々と出会い、コミュニティとして大きな広がりを見せています。この連載でも何度かご紹介した福島県は、中通り、浜通り、会津など歴史的な土地柄で、これまではあまりIT開発者同士の交流も進んでいませんでしたが、震災を契機に復旧復興支援といった面から交流が深まっています。

Hack For Japanの活動に共感し、一緒に活動してきた各地の開発者達をインターネット中継でつなぎ、これまでの振り返りを行うイベント「Hack For Japan 3.11〜3年のクロスオーバー振り返り」を開催しました。その様子を今月と来月にかけてレポートしたいと思います。

Hackを通じて各地に拡がった開発者達の輪

2014年3月11日、日本各地をGoogle+ハングアウトオンエアでインターネット越しに中継し、3年が経過した東日本大震災と各地の開発者が行ってきた活動について振り返りを実施しました(図1)。宮城県からは仙台と石巻の2会場から、岩手県からは釜石会場、福島県からは中通りの郡山、浜通りの南相馬、会津のそれぞれにある3会場から、そのほか、東京会場、大阪会場、そして、海外のシドニーから、それぞれ中継で各地で活動する開発者達をつなぎました。それぞれの地域の発表をお伝えします。

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図1 イベントはGoogle+ハングアウトオンエアで行われた

震災から3年、被災地への黙祷

今回のイベントで各地の中継をつなぐファシリテーターは、宮城県を中心に活動し、Hack For Japanのメンバーでもある小泉勝志郎さんが務めました。まず各地とのGoogle+ハングアウトオンエアでの接続が確認できた後、小泉さんの合図と共に今回のイベント参加者全員で黙祷を捧げました。

今回の「クロスオーバー振り返り」では、1人あたり10分を目安に、各会場の代表者がこれまでの活動の振り返りを発表し、良かったところ、不味かったところを共有しました。これからの活動のヒント、各地の活動で得られたナレッジを得て、より効果的な復興に向けての活動につなげることが狙いです。また、各地で活動する人達の中で、まだ顔見知りではない人同士をつなげていくことで、今後の活動のさらなる発展も考えていました。

継続的な町おこしで自立した復興を目指す

トップバッターはファシリテーターの小泉さんがいる仙台会場から。小泉さんの自己紹介と共に、震災当時の様子を振り返ってもらいました。震災当時、小泉さんは塩竈在住で自宅が津波被害にあい、当時は自宅で釣りができたという話を交えつつ、塩竈の防波堤のような形で津波被害が大きかった浦戸諸島の様子と、弟さんが浦戸諸島の漁業復興を目指すために始めたクラウドファンディング「うらと海の子再生プロジェクト」の紹介をしていただきました。このプロジェクトは全国からおよそ1億8千万円ほどの資金が集まって、国内のクラウドファンディングの中でも大きく成功したものとなり、浦戸諸島の漁業復興に大きく貢献されたそうです。

また、仙台でも過去に何度か開催されたHack For Japanのハッカソンを振り返り、ハッカソンののち継続して開発が行われたプロジェクトの少なさから、継続的な活動の必要性を感じられました。その実現を目指して、町おこしが継続的な取り組みとなるようオープンガバメントの推進を図っているCode for Japanと連携し、地方自治体との協調も視野に入れたCode for Shiogamaを立ち上げました。ITの力、いわゆるシビックハックで塩竈の町を盛り上げようとされています。例として、塩竈の観光スポットを位置情報とセットでデータとして用意し、それを元にした観光アプリの開発や、いくつかのイベントの開催、また島全体をハックしてしまうという「島ソン」を企画中と紹介してくれました。

このように震災直後の復旧にお金が必要な段階での「うらと海の子再生プロジェクト」のような話から、自立した復興、町おこしにつながるようなCode for Shiogamaのような活動の段階に移りつつあります。また、過去の活動でプロジェクトが継続しなかった失敗から学び、持続的な活動となることを目指して、今では塩竈の「楽しさ」を伝え、これまで以上に多くの人々を定期的に現地に呼ぶことにつながる施策となるように意識されているとのことでした。

また、被災地を応援する活動としては、ボランティアのほかにも、こうした現地の活動をインターネットなどを通じて紹介するようなことも、十分に被災地のためになるというお話でした。塩竈の町の楽しさを伝えるUstreamの企画などもスタートしているとのことで、今後の小泉さんの活動にも注目し、読者の皆さんの知り合いの方達にも、ぜひご紹介いただければと思います。

復興と過疎化の問題を継続して考える

続いて、同じく宮城県塩竈市で震災復興団体「よみがえれ!塩竈」を運営する土見大介さんからの発表です。震災からの復興のフェーズが変っていく中で、活動自体の変化とこれからの展望を話していただきました。  先に紹介したとおり、塩竈市の津波被害が小さく済んだのは浦戸諸島が防波堤のような役割を果たしたからで、逆に言えば浦戸諸島全体が深刻な津波被害にあったということが言えます。また、小さな島が多く、津波によって損壊した建物や流されてきた瓦礫を運び出す重機の搬入なども進まず、復興に時間のかかる状況が続いていました。またそれとは別の問題として、震災以前から浦戸諸島から若者が離れ、そこに住む人々の高齢化が進んでいた現状がありました。

塩竈や浦戸諸島がそのような課題を乗り越え、本当の意味で復興を果たした際には、ここでの知見が震災からの復興だけでなく、他の過疎化が進む地方でも必ず役に立つと信じて活動されているということでした。

そうした想いで活動されている「よみがえれ!塩竈」ですが、団体としての立ち上がりは震災直後、避難所を回って安否情報をTwitter上で発信していた土見さんに呼応する形で人が集まりました。塩竈の人々、あるいは塩竈出身の人達が自然とインターネット上で集まり、被災当初の復旧を支援する活動から、「塩竈でがんばる人達を応援する」という目的に変化していったそうです。ここでもやはりキーワードとなったのは“継続した活動”という点です。震災から3年が経ち、人々の関心が低下していくというのは、我々Hack For Japanでも感じているところですが、被災地で活動されている方々のほうが顕著に感じられているのかもしれません。そうしたこともあり、現在の「よみがえれ!塩竈」のメンバーは「できることを、できる人が、できる範囲で」をテーマに、各メンバーが無理のない範囲での活動を行うようにしているとのことです。

震災直後の安否確認、復旧後は塩竈の特産品の地方販売などで地元の生産物の認知向上と販売を手がけ、現在では塩竈のコミュニティ創出を支援する活動に変遷してきました。地元にゆるいつながりをもったコミュニティを形成し、地元を見つめ直す機会を作るために、気軽さや楽しさをより伝えていくことを目指しているそうです。こういった活動は、土見さんが目指している震災からの復興だけでなく、過疎化という課題を抱えている地方へのヒントがあるかもしれません。また、緩やかなコミュニティ作りは次なる災害が発生した際に、顔見知り同士であるという利点を活かした初動の早さや防災にもつながります。Hack For Japanでもこのような視点は今後の活動の参考となりました。

写真とITで家族の絆を再確認した山元町

次の発表は津波被害が大きかった山元町で、持ち主が不明になってしまった写真約75万枚をITを使って救済、返却するプロジェクト「思い出サルベージ」を運営している溝口佑爾さんからの発表となりました。

山元町は宮城県の東南端に位置し、太平洋沿岸部の街であったため、街の半分が津波による水害にあい、人口の4%の人が亡くなりました。津波被害を被った地域の中でも被害が甚大だったにもかかわらず、メディアで取り上げられることがほとんどなかった状況を憂い、インターネットの力を使って少しでも世間に伝えたいという思いから、山元町とのかかわりを持つようになったとのことでした。しかし、予想外のところから現在の被災写真のデジタル化・持ち主への返却といった活動につながっていきます。

溝口さんは当初、インターネットの力を使って山元町の現状を発信する目的で、現地にパソコンを設置して地元の人達に利用してもらおうと試みました。そうすると、お年寄りにはパソコンを十分に活用してもらうのが難しく、逆に子供達はゲームに夢中になってしまうなどといった課題がありました。そうした課題を解決すべく、パソコンでやってもらいたいことについて現地の人達に直接ヒアリングを重ねて行く過程で、「津波被害にあってしまった写真のデジタル化」という要望が数多くあがることに溝口さんは気付きます。津波被害にあった写真は著しい劣化により、表面が溶けて思い出が消えて行ってしまいます。そうなってしまう前に洗浄したり、デジタル化することで思い出の写真がなくなってしまわないように保存することが求められていました。それがきっかけで「思い出サルベージ」は設立されました。

そうした経緯で設立された「思い出サルベージ」ですが、デジタル化した写真を持ち主に返して行く中で、被災された方達にとって思い出の写真というものが切実なニーズであったことに気付かされたそうです。

津波被害が大きかった山元町では時間の経過にしたがって、被災された人達の会話が「生きていて良かったね」から「ご遺体が戻ってきて良かったね」に変わり、そして「写真が戻ってきて良かったね」に変わっていったそうです。津波によって奪われてしまったものがあまりにも大きいことを痛感するなかで、溝口さんは写真を返した男性から「これでようやく妻の遺影が作れる」といった言葉をかけていただいたこともあったそうです。

津波に家を流されてしまった方も多く、自分がどう生きてきたかといったアイデンティティが失われてしまった方々にとっては、戻ってきた写真を通して、そのアイデンティティを見つけることができたようでした。そのような光景を見るうちに、写真が人々の心の拠りどころであることがわかったとのことです。ITの力を使って持ち主に写真を返していく中で、見つからなかったご家族の写真を顔認識技術が見つけたり、自分の両親と間違って認識されてしまう過程で家族とのつながりを再認識するなど、テクノロジが1つの写真の意味合いにも広がりをもたらしてくれたことが数多くあったようでした。このように当初予想していたところから被災地の予想外の出来事の連続に対応していく中で、ITの活用できる領域、やり方に応じて見出せるITの可能性に気付いたとのことでした。

変化の連続の中で現地で求められていることを見つけ、それを拡げていく過程の中で、ITが持つ力を実感する瞬間はあります。ITの力ではできないこと、ITだからこそできることを知ることができる良い発表でした。

大人の背中を見て中高生が自ら育ち始めた石巻

宮城県からの最後の発表は、石巻で活動するイトナブの古山隆幸さんからの発表となりました。冒頭、2014年3月11日の震災の時刻に石巻港に鳴り響く哀悼の警笛と共に、黙祷を捧げている古山さんの姿を映し出した動画から発表が始まりました。あの日を境に夢や希望、家族や友達など多くの想いのつぼみが失われてしまいましたが、その代わりに得た多くの人との出会い、そのつながりを今は大切に、そして太くしていこうと思いを新たにしたとのことでした。

イトナブは震災からの復興を“震災以前の元の石巻に戻す”ものにはしたくないという古山さんの思いから、10年後の2021年までに石巻から1,000人のIT技術者を輩出することを目標に活動しています。当初、イトナブとは「IT×学び×イノベーション×営む」の造語でしたが、参加する子供達が自発的にITを学ぶことを楽しみ、遊ぶかのようにしている様子から、最近では「IT×学び×イノベーション×営む×遊ぶ」の造語に変化したそうです。

イトナブの方針はその「学び方」に表れています。教育のカリキュラムや教科書、パソコンなどの機器を用意するだけではダメで、いかに子供達に自発的に学ぶ姿勢を持たせるか、という点をとくに意識しています。その姿勢を持ってもらうために、どのようなことを心がけているかという秘訣を発表してもらいました。それは、プロスポーツ選手に憧れを持つように、大人のIT技術者の背中に憧れを持ち、自ずとそうした大人達を目指して学んでいく。そのような環境を用意することを常に意識しているということでした。そのために古山さんは東京やそのほかの地方と石巻を駆け回り、多くのIT技術者達がイトナブで学ぶ子供達と関係を持てるように腐心されています。

また、大人の背中を見せて子供達を触発するだけではなく、イトナブにかかわる大人達もそうした子供達に触発されていくことが、過去に開催された2回の石巻hackathonから見えてきているようです。

そのような良いサイクルが回りはじめ、いま石巻ではIT技術を身につけ羽ばたきはじめた子供達がたくさんいます。そして、今夏も石巻Hackathonは開催されるとのことです(図2)。この記事をご覧の皆さまも新しい若い芽の息吹を感じ、大人の背中を見せに、そしてそこから刺激を受けて子供達と共に成長するために、2014年7月25日から27日の予定は空けておき、第3回 石巻hackathonに参加しましょう!

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図2 第3回 石巻hackathonの告知

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Updated on 2 24, 2013 by Seigo Ishino