Software Design 連載 第31回 Hack For Japan 3.11〜3年のクロスオーバー振り返り(後編)

 

この記事は、技術評論社 Software Design 2014年7月号の転載です。記事のPDFはこちらからダウンロードできます。 技術評論社のご協力に感謝いたします。

Hack For Japan

エンジニアだからこそできる復興への一歩

“東日本大震災に対し、自分たちの開発スキルを役立てたい ”というエンジニアの声をもとに発足された「 Hack For Japan」。本コミュニティによるアイデアソンやハッカソンといった活動で集められた IT業界の有志たちによる知恵の数々を紹介します。

第31回

Hack For Japan 3.11〜3年のクロスオーバー振り返り(後編)

“東日本大震災に対し、自分たちの開発スキルを役立てたい”というエンジニアの声をもとに発足された「Hack For Japan」。前回に引き続き、3年間の活動を振り返ったイベントの報告です。

Hack For Japanスタッフ

鎌田 篤慎 KAMATA Shigenori
Twitter @4niruddha

先月号に引き続き、各地でHack For Japanの活動に共感し、共に活動してきた開発者達と東日本大震災からの3年を一緒に振り返るイベント「Hack For Japan 3.11〜3年のクロスオーバー振り返り」の様子をレポートします。Google+ハングアウトオンエアで宮城県の仙台と石巻の2会場、岩手県の釜石会場、福島県は中通りの郡山、浜通りの南相馬、会津のそれぞれにある3会場、そのほかに東京会場や大阪会場、海外のシドニーをインターネット中継で結んで行われました。

新しい世代の芽と本当の復興が見えつつある会津

福島県会津からの発表はHack For Japanのメンバーでもある佐々木陽さんによる、会津地方の紹介と福島の現状報告です。

原発の問題が依然として継続し、立ち入りできない土地が現在も数多くある福島の今を冒頭に説明。震災以降、会津で実施されたHack For Japan関連のハッカソン、最新のハードウェアやガジェットを使った新しい街作りを目指す「Hack For Town in Aizu」(図1)の活動を紹介いただきました。

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図1 Hack For Town in Aizu

そうした活動がきっかけで、先日市長賞を受賞した五十嵐太清くんが会津で育つ若い芽として紹介されました。彼は会津工業高校に寄付されたAndroid端末を用いてガイガーカウンターなどを開発し、その流れでハッカソンに参加するようになり、会津大学進学後も継続して活動に参加しています。

五十嵐くんは前回のレポートでも紹介した、宮城県石巻のイトナブに通う若者達と連携した活動も始めています。各地で若い芽が着実に育ち、つながっていっています。そして、Hack For Japanの流れから生まれたCode for Aizuによって行政の人達とも緩やかなつながりが生まれ、地域に根ざした活動になりつつあります。このような活動が最近では頭に「震災」の文字が付かずとも地域のために行われるようになってきたことから、本当の意味での復興が見えてきたとのことでした。

「ふくしまの未来=希望」を目指すエフスタ!!郡山

同じく福島県郡山からは、本連載2013年2月号でも紹介した「ITスキルアップコミュニティ エフスタ!!()」の大久保仁さんからの発表です(図2)。

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図2 福島県郡山からのハングアウト中継

福島県のITエンジニア達は大きく、浜通り、中通り、会津といった土地柄による隔たりがありましたが、今回の震災、そしてこのクロスオーバー振り返りイベントで集い、つながったことに対する喜びの声から始まりました。

福島の中でも浜通り、中通りは原発の問題が継続しており、制限された生活を強いられています。食べることや遊ぶことなど多くの面で課題があります。そうしたことから福島では現状復帰という意味での復興よりも、その前提としての「安心して暮らせる」ということが求められており、エフスタ!!は勉強会を中心に活動し、福島の今を伝える活動を東北各地、そして東京などでも行っています。「震災前より元気な福島、福島は面白いぞ!」というのを福島の子供達にも感じ取ってもらえるよう頑張っているとのことでした。

発表の最後はエフスタ!!に参加するメンバーひとりひとりが、中継を見ている参加者に一言ずつメッセージを発表するという形で締めくくられました。

放射線被災下でITに活路を見出す南相馬

福島第一原発がある浜通りの南相馬からは、「南相馬ITコンソーシアムhttps://www.facebook.com/minamisoma.it」の立ち上げに関わられている田中章広さんからの発表となり、その報告は日本各地、世界各地から寄せられた南相馬への支援の数々への感謝から始まりました(図3)。

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図3 福島県南相馬からのハングアウト中継

南相馬がある浜通りは津波被害が大きな地域と、事故当時の風向きで放射線の影響が大きくなってしまった地域などが入り組んだ複雑なもので、それぞれに違った対応が迫られています。中でも人口流失の問題は深刻で、震災直後は原発の影響で9割近くの住民が避難し、震災から3年が経った今でも以前の6割程度の住民しか戻ってきていないとのこと。

とくに南相馬の産業の中心だったサービス業などに従事していた若年層の流出が著しく、新たな産業を南相馬で見出さなければ街がダメになってしまうという強い危機感のもと、放射線被災下においてもやっていける新規事業を模索するうちにIT産業に活路を見出したそうです。しかし、IT技術を教育しても他地域に技術者が流出してしまう問題は解決しません。そんな課題から、教育プログラムから雇用までをサポートする南相馬ITコンソーシアムを立ち上げたとのことでした。

当初はエンジニアが1人もいないところからスタートしたため、国内でもITに早い段階から力を入れていた岐阜県大垣市に協力を依頼し、南相馬へプロジェクトマネージャーを派遣してもらいました。合宿形式でシステム開発の習得に腐心した結果、エンジニアも育ち、現在までの実績として映画や球団、TV番組の公式アプリ開発を21本ほど受注、納品されています。そしてほかの被災地域同様、プログラミングワークショップなどの形で若年層の育成にも力を入れはじめているとのことでした。ここでも会津と同じように、石巻のイトナブと復興に向けて協力していくつながりが生まれています。

次なる減災のフェーズへ東京

東京会場からの発表は、宮城県石巻市出身でTwitterアカウント @UN_NERVを使った迅速な災害情報の告知で活躍する石森大貴さんから、そのアカウント誕生の経緯、これまでとこれからを発表していただきました。

3月12日、都内で大規模停電の知らせが拡がります。首都圏での電力不足を補うため輪番停電の実施が決定されたことを受け、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する組織「NERV」を表すTwitterのアカウント(@UN_NERV)を持っていた石森さんが「ヤシマ作戦」を訴え節電への協力をインターネット上で呼びかけはじめました。「ヤシマ作戦」とは『新世紀エヴァンゲリオン』の劇中に登場する、敵を倒すために行った日本全国の電力を集める作戦「ヤシマ作戦」になぞらえたものです。

その活動が注目を集め、実際のアニメを模したサイトやアプリケーションが生まれることにつながります。その時点では著作権などへの問題が指摘されていたそうですが、震災直後の緊急時という点と少しでも被災地のためにできることとして、石森さん自身が責任を取れる範囲であれば構わず続けるという意思のもと、優先すべきことを優先するという姿勢を貫いたそうです。そのような姿勢に多くの人々も賛同し、サーバの提供なども含めさまざまな協力者が現れはじめます。

震災から2日目、活動当初から指摘されていた新世紀エヴァンゲリオンの版元に対する著作権の問題が進展します。Twitterのフォロワーから版元と調整してくれる人物が名乗り出て調整してくれたことで、『新世紀エヴァンゲリオン』公式ブログからヤシマ作戦が正式にアナウンスされました。石森さんの活動が多くの人達を動かし、人々が求める情報を配信するインフラ作りの第一歩になった瞬間でした。

届けなければならない情報が届いていない。そうした背景があり「生命と財産の保護が最優先」というミッションのもと、石森さんはインターネットの力を使ってこの課題の解決に取り組んでいきます。ブログやTwitterなどで被災地のために地道に続けていた活動が大きな動きとなったことで、気象庁からは防災気象情報、総務省からは公共情報、IIJからは緊急地震速報などの防災、減災に関する情報提供などさまざまな組織から情報が提供されるようになりました。

こうした石森さんの活動は東日本大震災だけに留まらず、日本で起こる災害全般に視野が拡がっています。インターネットから情報を届けられるデバイスが増加していることを受け、現在はカーナビとの連携も予定されているそうです。一斉配信でも輻輳が起こらない放送波を使うしくみの利用を考えられているとのことでした。

釜石の復興と若者のITスキル育成のために

釜石会場からの発表は、地方におけるICTの利活用やさまざまなライフスタイルを通した地域振興の発展を目指す「LiFESTYLE Lab.」を運営されている西条佳泰、さやかご夫妻からの発表となりました。お二人は震災後に都内のIT企業と広告代理店をそれぞれ退職し、ふるさと支援の目的で岩手県釜石市にUターン。ITスキルを活用して地元の復興のために尽力されています。

釜石も南相馬などと同様に震災後から人口の流出が止まらず、従来の産業だけでは先細りが見えているため、地元に新しい活路を見出すべく、西条さんはITの利活用を地元で推進していきます。その活動は震災のあった2011年から始まり、我々Hack For Japanのハッカソンなどを中心に、釜石でいくつかの活動を開催されてきました。その流れで、地元の中小企業の人達にITスキルを身につけさせるコーディネーターとしても活躍し、現在も釜石でITを根付かせる活動をしているとのことでした。

2013年の夏には、「東北TECH道場」が第4期から釜石でもスタートし、下は小中学生から上は50代まで、幅広い層の人間から支持を集めているそうです。そうした活動や西条さんの人となりから、地元との連携に発展し、やがて地域の高校と連携が始まります。2013年9月には震災後3年ぶりに地元のお祭りである「釜石よいさ」が復活し、地域の高校生の授業の一貫として行われたお祭りの公式サイトを指導者として一緒に制作されました。岩手県の故郷をテーマにしたCMでは釜石よいさのCMが賞を受賞し、釜石は震災後、これ以上ないほど人が集まったそうです。

現在、釜石は震災後からの再開発が進み、中心市街地ではイオンタウンが建設中です。その集客力を地域振興に活かすべく、再開発にかかわるメンバーの一員としても参加しています。とくにICTの効果的な利用を狙って、釜石市の地域情報、観光情報、市役所、市民記者、企業や事業者の情報を1ヵ所に集約する「情報交流センター」を企画し、自立したICT活動やイベントが行えるハブとなることで、中高生のIT教育、地元民のITリテラシーの向上を目指しているとのことでした。

「東北TECH道場」釜石道場の道場主である奥さんの西条さやかさんからの発表は、釜石道場に通う中学生2人のお話でした。大人も交じる釜石道場の中で、その2人は最初はプログラムに苦戦し、くじけそうになりつつも釜石道場に通い続けました。そのため今では、周囲の大人達を超える勢いで成長しているそうです。そうした成長してゆく子供達の姿を見て、道場に通う大人達も、道場主である西条さん自身も大いに刺激を受けているとのことでした。今後はその2人の中学生が高校生になるので、高校生の参加者も増やしていきたいという展望をうかがいました。

石巻のイトナブや会津の五十嵐くん、南相馬の若者など次世代のITエンジニア達が育ち、そして緩やかにつながっていく様は東日本大震災からの復興だけでなく、日本の将来も明るく照らすことを伝える発表でした。

大槌から復興に留まらない地域振興を

大阪会場のトップバッターは「KAI OTSUCHI」を運営されている鷲見英利さんからの発表となりました(図4)。

図4 KAI OTSUCHI のホームページ

図4 KAI OTSUCHI のホームページ

KAI OTSUCHIの成り立ちは、大阪でのアプリ開発企業の経営、横浜での外国人向け不動産会社の経営、貿易会社経営など、さまざまな業態の企業を営んでいる鷲見さんがその経験を買われ、関西大学の与謝野有紀教授より鷲見さん宛に、被災地において仕事を創出する活動を考えてほしいという依頼があったことに端を発します。鷲見さんが以前に中国へのオフショア事業に携わっていた経験から日本の競争力をあらためて考えたこともあって、日本の若手育成の観点から、ニアショア事業と復興支援、その先にある地域振興を意識した自立した成長を支援する活動を行う目的で始められたとのことでした。

当時、大槌町にはプログラムができる人材がそもそもいませんでした。そこで人材をゼロから教育してアプリ開発ができるようになるところまでを目指し、若者の職場づくりを加速させる目的でスタートしました。その結果、半年で電子書籍のアプリを作れるようになっていったそうです。当初はそうした若者達が首都圏での就職が容易になるよう、彼らの仕事の成果として名前を露出することまで想定していました。しかし、そうするとせっかく育った若者が首都圏に移住し、地元の人材流出を加速させる懸念があります。そこで現在では、一般社団法人を作り、地元での雇用の創出、人材の育成にシフトしているそうです。

そうした中で開発された「京都カメラ」をきっかけに、観光地との連携が商材になりつつあります。「義援金より仕事を」というキャッチコピーで、ただ教育するだけでなく、実作業、実績をつくっていくことを目指した活動になっています。

振り返りイベント当日も、ただプロダクトを作るだけでなく、そのコンセプトがほかの観光地などにも水平展開できるところがビジネスとしての継続性もあって素晴らしいという意見もあがりました。

大阪からのイノベーションを目指し東北と連携

続いて大阪会場より「Osaka Innovation Hub」を運営する大阪市役所の角勝さんからの発表です。ハッカソンやオープンデータをキーワードに、イノベーションの創出を試みている関西イノベーション国際戦略総合特区にあるイベント会場を軸にした活動の紹介です。

日本以外の国、大阪以外の地域で継続的なイノベーションが生まれる環境を目指しているとのことで、グローバルに人材、情報、資金が入り込む環境で、ほぼ毎日イベントが開催されています。その中でも、我々が開催するようなハッカソンをかなり実施しているとのことでした。

とくに最近ではハードウェア系のものに力を入れいており、そうした活動が認知されて、パナソニックやシャープといった大手企業とも連携したハッカソンにまで発展しているとのことでした。そうした活動の中、東北との連携では「Earth Communication Award 2013」で、石巻や仙台でハッカソンを実施し、成果をあげているというお話でした。

ハッカソンではどうしても単発的なアウトプットとなってしまいがちな点を考慮して、継続的な活動、事業展開が見込める成長を目指し、ハッカソンからのプロダクトを展示する展示会を開催したりしています。やっただけで終わりにしない施策にも力を入れており、ハッカソン発のプロダクト、サービスの支援を行っているというお話でした。こうした部分はかねてからHack For Japanの反省でも指摘されているとおり、大切な部分だと思います。

防災と地域活性化を目指すFandroid Kansai

「防災と地域活性化のためのITのあり方をコミュニティから考える」をテーマに「Fandroid Kansai」設立記念ワークショップの様子を同コミュニティの佐藤拓也さんより紹介いただきました。

Fandroid Kansai は「Fandroid EAST JAPAN」という、“震災復興から地域振興まで目指すAndroidアプリ開発”を活動の軸とした東北地方のコミュニティの関西支部です。自立から飛躍を目指し、関西地域の防災、地域振興のナレッジを東北にもつなげていこうという試みです。また、今回の発表では阪神大震災というバックボーンを持つ関西地域ならではの視点もあった、設立記念ワークショップで行われた講演やワークショップの内容紹介でした。

基調講演は、京都大学 防災研究所の准教授 畑山満則さんによる東日本大震災、阪神大震災などの教訓から今後の防災に活かす研究結果の発表です。ITの役割が阪神大震災のときと東日本大震災のときとでは役割が大きく変化してきており、防災への活用はこれから本格化していくと予想。また、被災時に提供できるものとして「安全」と「安心」の2つがありますが、ITが寄与できる領域は物理的な安全より、安心を届けられる点のほうが、今後より見込まれてくるだろうという話があったとのことでした。

また、同イベントのほかのパネルディスカッションの様子として、一般社団法人東日本大震災復興サポート協会の代表である遠藤雅彦さんと、南三陸震災復興推進課まちづくり推進室長の畑文隆さんの対談が紹介されました。災害時、向こう3軒の近接住民間のコミュニケーションが大切と捉え、それを日頃からITの力で補助しつつ、作り上げていくことが大事だという話でした。これは災害時にあらゆるインフラが一時的に麻痺しがちな状況下で、人と人との日頃からのコミュニケーションがいかに大切かという部分で、非常に印象に残るお話でした。

そのほかのパネルディスカッションのお話としては、大阪市旭区役所 総務課防災等担当課の有信博孝さんによる、子供向けの防災教育プログラム「カエルキャラバン」の活動紹介や、音楽活動のCDの売上を全額陸前高田に寄付され、iTunesの売上を子供支援協会などに寄付しているMusic ActivisのShihoさんのお話が紹介されました。Shihoさんのお話の中で「ITによって他人事を自分事にすることができれば、人はもっと動く」というメッセージは参考になる視点です。また、西宮経済新聞編集長である林拓真さんの発表は、日頃からメディアやアプリを使って地元のお店の情報発信を行っているインフラを活用し、災害時に利用するというアイデアのお話でした。

そうした講演をインプットとして受け、Fandroid Kansai設立記念ワークショップに参加された参加者全員でアイデアソンを実施し、今後の防災に役立つアイデアを出し合ったとのことでした。

「これまで」と「これから」と

今回のクロスオーバー振り返りイベントの締めくくりとして、Hack For Japanの立ち上げメンバーでもある及川卓也さんより、出張先のシドニーから、本イベントの総括とこれまでのHack For Japanの振り返り、そしてこれからのことをお話しいただきました(図5)。

図5 及川さんのハングアウト中継

図5 及川さんのハングアウト中継

今年でちょうど3年が過ぎ4年目に入って、及川さんの当時のTweetを振り返ると、東京で何もできないジレンマから、同じ想いを持つ人達を集めるべくHack For Japanを2011年3月18〜20日の震災直後に立ち上げ、そこから自分の世界が変わったという話は、会場にいる誰もが同じことを想い、そして今に至るまで活動してきた背景から非常に共感できる話でした。

当時はハッカソンを主軸にした活動でもあったため、停電や余震の影響を受けて、被災していない西日本の会場やオンライン会場、また海外のチームと時差を利用して効率的に作業を進めました。そうしたことがきっかけで多くの人がつながり、3年経った今も今回のイベントのように多くの人が、多くの場所で集まり、振り返りを行えています。しかし一方で、ハッカソンなどの活動で成果がなかなか生まれなかったことも事実としてありました。これが1つのきっかけとなって、継続性を意識しているCode for Japanや東北TECH道場、イノベーション東北の活動に通じていると思います。

また、ヤシマ作戦と同じように批判などはあっても、意志をもって継続することの大切さや、新たな産業振興や教育についてITを軸に据えて未来を見ることの大切さ、そうした活動を日本だけでなく世界にも視野を拡げて見てみようという意識を、今回のイベントを通じて会場にいる参加者全員で得ることができました。

3.11は悲しい出来事でした。しかし、その悲しみを乗り越えて復興、地域の活性化を図るためには「笑いあいながら、楽しみながら」。そうしたメッセージが今回の発表でも随所にありました。むしろ、そうした明るさから未来が見えてくるのではないかという及川さんのメッセージで今回のイベントは締めくくられました。

震災からの3年間を振り返って

東日本大震災からの3年間を振り返ったこの記事をご覧の読者の皆さんも、当時を思い出されたでしょうか。当時できなかったこと、今ならできること、時間の流れと共に私たちにできることも変わります。技術者にしかできないことというのも数多くあります。この記事が読者の方々にとって、「こういうことなら私にも支援できる」「災害に備えてこういうことを準備しておこう」「もし次に災害が起きてしまったときにはこう動こう」など、3.11の教訓を生かすために少しでも参考になれば幸いです。

脚注

注)郡山での活動から徐々に東北や東京まで活動の幅を拡げています。

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